呪いの時代、リトルピープル
そういえば、ジョジョリオンでも呪い、呪いっていってましたけど、村上春樹のすきな内田樹さんも呪いの時代といっていたような。
そこでさらに話をつなげてみよう。
リトルピープルだ
ビッグビラザーではなくリトルピープルの時代。それは権威といった知の巨人ではなく、市井の小さな人々、無名の人々の感性の時代なのかもしれない。知識体験を積み重ねて批評され切磋琢磨して競い合うものではなく、ただただ批判されることのない調和だけの世界。それは芸術だろうか?ただただ穏やかな調和だけではないのか。
調和と言えば、ハーモニーというSFがあった。
行過ぎてしまった社会では自我こそが不要とされる。真綿で首を絞め合うシアワセの楽園。そこにはもう味わう主体がない。
エンデはいった芸術には闇や不協和音がなくてはならないと。
どん底体験がなければならないと。
しかしそのようなものは恐ろしくて忌み嫌われるのかもしれない。そう、これこそが「さよなら魂、さよなら私」なのだろう。