誤解の必要性
誤謬、錯誤、誤解。誤ること、本当は正しくないことはとても大事である。
無謬性はほとんどの場合、数学を除いて実用的ではない。間違っていても進めた方がよいことが多い。失敗をして学んだ方がなにかと早い場合が多い。つまり失敗しないように失敗しないようにとすることは守りであって、攻めではない。最終的に詰む。これは他の人に理解されないためにおこる悲劇である。そう考えると失敗した方がいい。みんな失敗している。失敗しないのは挑戦しないことで、緩慢な自殺と言える。
また他の人を煽動ないし先導する場合は、どこかおかしい方が扇動しやすい。熱狂とはおかしい方が引っ張れるし、どこか狂っていなければできることではない。