なんだこれは

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一般人にはオヌヌメできない

一般人にはおヌヌメしない。選考員が読んで寝てしまうとか、言ってるし。
道化師の蝶とか松ノ枝の記についてだらだら書いてみた。

ふつーの人にはどうでもいいので収納してみた。


さてお断りをいれたので、コレ以降何を描いてもいいはずだ。むろんあらすじを書いてしまったりするわけでもないし、解説もしない。構成も校正も修正もしなければ朱もいれない。ここはfu7mu4の落書き場所なんだから、欲しいひとが欲しいだけ読めばいい。そう思う。

この思い込みしたがってすらすらと書いてみようと思う。今日はそういう気分なのだ。じゃあ、何のために書いているんだと思うかもしれない。正直にいうと知らんがなであり、もう少し長い理由をいうと、空が灰色だからとか、太陽が黄色いからとかいくらでも考えられる。考えた所で意味はない理由がいくらでも浮かんでくる。所詮理由とは跡づけの理屈なのだ。大事なのは新しいところに跳ぶ発想なのだ。理屈はそこへたどり着くための整備された道路に過ぎないと。*1いや、道路大事だけどね。うん、そうこれ、君の知らない物語だね。人はみな知ってることだけ知っている。同語反復。

じゃあ、そろそろこの物語について触れてみよう。先に言ったように、あらすじを書いたりしない。だって見ていない人に映画のストーリーを紹介しない主義だしね。サッカーの試合を見る前に点数差がわかったらつまんないじゃない。

まあ、そういうことを慮ってまあ、なんか書いてみようと思う。ああ、この不自由さがたまらない。この話は、言葉で何ができるのかを試した作品なんだと思う。こう書くと、だいたいの話がそうなんだといえばそうなんだけれども。もちろんそういう意味ではない。普通の話は、本のテキストを意識が解釈して味わい、味わっている内容が話の内容だ。

そうだよね?
そのとおり。

この話はもう一歩手前なのかもしれないと思うんだ。解釈しているってところが味わっている内容のせいで微妙に揺らいでくる。あれれ、このひとこうだっけとなる。今までの文がきっちりXMLでパースできていたとしたら、どうもこの人の文章はパースできていたはずなんだけどとなる。このキミョーな浮遊間が素晴らしい。言葉の扱いの裏の規則で遊ばれているような、遊んでいるような。そういう不安感と開放感のないまぜになった感覚なのだ。

ああ、言いたいことの半分くらいがようやく文章にかけたような気がする。

というところでこの記事は終る。

*1:誰が言ってたっけ?紅子