なんだこれは

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前にならう、次の一歩、あなたは何者か?

そういえば、つぶやきのクリームを読んだので、森博嗣の書いていた考える方法を使ってみることにした。


ハイキングでは、毎回あらぬ方向に進んでしまったり、山道を登ったり、獣道を遡ったり、まあその早い話道にまよっている。そう、遭難です。

まず、先頭の全員をひっぱっていく方がその道をさがすことを楽しんでいるし、全員がそれを楽しんでいるからそれでいいといえる。だってそんなに難易度の高い山で遊んでいるわけではないから、せいぜい2時間ほどハイキングが長くなるだけだからだ。そう、遊びだ。これは遊びだ。

次に先頭の進む道を自動的に選択して歩いているように見えたが、その道が個人個人にあっているとはおもえない、にもかかわらず、律儀に同じみちを辿っているようにみえる。精々足をどこにおくかくらいの違いしかない範囲の自由度しかないように、感じられた。ある程度の幅をもったコースをもって、もう少し一人一人が個人個人の体格、体力に見当った道をとれば、もっと楽にすすめるのに、そうしない。そうしないことを選択している。それは会話を大事にしているからだ。つまり、ハイキングの彼らのたのしみは、いい景色、いい会話、そしてほどよい疲労なんだろう。それはそれでよいと思う。だってこれは遊びだから、遊びだもの。

遊びでは、そうなにをしてもよいだろう、ひとに迷惑をかけなければ。でもそれだけだ。ある程度のラインにあわせてはめこんですすめば、体力などの初期パラメータを強化する以外、なにも進歩しないだろう。道を外す冒険や迷いアリが新しい道を作り、最短コースを見付けるのだ。まだ、その段階で満足なんだろうか?つぎの一歩を踏みださなくていいのだろうか?いつまでも同じでいいのだろうか?