前言に縛られない
嘘や過ちはできるだけ早く撤回することが重要だが、これはなかなかできない。
どうしても人間は、他のひとを統一した人格があるもの、信念があるものとして扱いたいのである。こういう性格だと、こういう人格だと。
そういうのは、今までその人を見てきた部分から推測しているもので、全体を見ているわけではないのに、どうしても、ああだ、こうだと決めつけてしまいたいものだ。
決めつけられないの場合、それは不安定な状態で迷いを生む。これはコストというかストレスになるのである。
そう、楽がしたい。だから、そういう色眼鏡でみる。偏見をする、レッテルを貼って分類して判断をする。
こういうふうに人は自分に都合によいように偏見を持ってもらいたがる。
俺は正直な人間だとか、几帳面だとか、綺麗好きだとか。
キャラをたたせると言えばいいのかもしれない。
一度そのように色眼鏡をかけさせることができれば、その眼鏡をとおして見てくれるので、楽になる。そういうものだ。
もともとは、そういう性格のようなものは、しっかりしていない。これは人間が生みだした偉大なフィクション、または行動パターンのひとつなのだ。人間の行動というものは予測できるものではない。きまぐれで、ふわふわと浮ついていて、原因なんてものは本人でもわからない。
そういうものだ。
だから、簡単に前言を翻してよい。
二枚舌を使っていい。
よりよく生きるためには、なんでもしてよい。
だから、ひとのいうことやることも大目にみたほうがいい。