3x5と5x3の問題の問題
式が3x5=15が正解であるならば、問題の出し方がおかしい。答えではなく問題が問題。
だから愚問には愚問が正解なのかもしれない。
前提
まず、この問題だけを条件として判断するとします。
問1 オリジナル版
さらが5まいあります。
1さらにりんごが3ずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょう。しき( )
こたえ( )
書いてほしい答え
こういう答えがかいてないとだめらしい。
しき(3*15=15)
こたえ(15こ)
なんでも、「かける数とかけられる数があってそれぞれを順にかけてくれないと、どちらがどちらか理解しているか分からないから」ですって
たぶん、ド低能的な答え
この問題の出し方であるならば、正解ではないのでしょうか?
1+1+1+
1+1+1+
1+1+1+
1+1+1+
1+1+1=15
問題文にかけ算を使えとは書いておりませんので。
もちろん、一行が「さら」をあらわしています。とかけばパーフェクトでしょう。
どうしてこうなった?
この問題で「せんせい」が知りたいことは何でしょう?「かける数」「かけられる数」「かけ算の立式」「答え」ですよね。つまり、それぞれを一個ずつ確認すればいいんですよね。それぞれを一つ一つ確認する問題を考えてみましょう。
さらが5まいあります。
1さらにりんごが3ずつのっています。
りんごはぜんぶで何こあるでしょうか?
かけ算をつかって考えるとします。
(1) かける数は何の数ですか?選んでください(りんご、さら)
(2) かけられる数は何の数ですか?選んでください(りんご、さら)
(3) しきを書いて説明してください。
しき( )せつめい( )
(4) 答えを書いてください。( )
これで、「しき」に3x5=15でも5x3=15と書かれた場合でも「せつめい」がきちんとしていなければ×にできますよね。
「問題」の解説
つまり、問題が問題だとしかいいようがない。
かける数、かけられる数の理解しているかを知りたいのであれば、問題が間違っている。
知りたいことを問わなければいけない。それでは試験になり得ない。測る場合基準がはっきりしていなければ、試験の意味がない。
また、かける数、かけられる数を理解しているのかを知りたくない場合はもちろん、「しき」は3x5でも5x3でも正解にするべきだ。
反論上の注意
このように書くのが「教室内でのルールである」「常識」「教育上の配慮」という反論は前提により受け付けられない。