なんだこれは

はてなダイアリーから移転しました。

そろそろちょこッと Sisterについて暴言を吐いてみる

d:id:fu7mu4:20110811:1313104893にあるとおり読んでみたので、fu7mu4は暴言を吐きます。だってイマイチなんだもん


ちょこッとSisterは、妹属性つまり、庇護しなければならないコスト(わがままへの奉仕、義理)と庇護する見返り(かわいさまたは依存)の共犯的な関係が、現在繰り広げられてるまたは繰り広げられる可能性があり、将来のいずれかの時点でその関係性に終焉が到達することが確定していること、またはその確定していることに対しての葛藤などを表現している。この終焉とは兄または妹が精神的な共依存を停止することを意味する。それは他方からは一方的な裏切りと捕らえられることもあるが、多くは兄妹以外の者との恋愛等の精神的成長による関係性の変更である。

このちょこッとsisterでは主人公は奇妙なことに妹を手に入れ、*1その妹と生活を始めつつ、物語を終らせる装置として、時限爆弾のように恋愛を始め、自立(妹離れ)を開始する。これは妹としては越えなければならない、非常に弱いドラマツルギーとして存在する。主人公は回想シーンにおいて妹が欲しいという願いを行い、手に入れたが、少しも能動的ではない、典型的な前景化されたモブ的主人公である。故に、ちょこッとSisterではちょこがメインの登場人物であり、単にそのかわいい振る舞いを見せるための舞台装置であるといえる。また本作は、かわいいは正義のために非現実の日常系の体をとるため、物語の原動力は皆無に等しくただただ、モブ主人公の気の進まない恋愛によって話を進める。多くの日常系と同様に、多くの明に語られることのない細部での細かなネタが細心の注意を払って散りばめられて深読みを可能にし、それによってリアリティを補強してはいるが、究極的にはどうてもよく、ちょこがその場でどのように感じてどのように動くのかという背景または終了へのカウントダウンにほかならない。

その最後の低い低いハードルであるが、さらに読者層への受けを計算し、ちょこがあまりに幼いため主人公と現在の関係を続けていくことが難しくなることが理解できていないあるいは読者が受けいれられない可能性があると踏まれたのか、義妹で一度別れを描いたあとに再度関係性の再構築を描くという奇妙な構成になっている。このように読者への負担を極度に減らすために奇矯な内容になっておりその極度に負担を減らす好意/行為そのものが、真綿で首を絞めるような副作用*2があると私には思えてならず、はっきりいって吐き気を覚える。*3この低い低いハードルを飛ぶことができないのであれば、最初から用意しなければよいのではないかとそう考えるからである。もちろんハードルをおけば、物語的な深みがあるのかもしれないが、そのような登場人物ではない以上、最初から無理な展開だったとしか思えない。この物語にはそもそもの動機がない以上終着点もなく淡々と延々とちょこの日常を描き続ければよい、いや、それしか物語としての整合性を保てないのである。

*1:主人公がちょこを手に入れる経緯は常規を逸しているが、アニメや漫画における少女との突然の出会いの一形態であるといえばその範疇と言えよう。また奇妙であればあるほど、これは現実ではなく共同幻想であることを読者に訴えかけることが可能になる。これは昨今のリアリティを実際の地域で補う動きとは全く異なる。

*2:伊藤計劃のハーモニーにおける終わりのようなもの

*3:映画『ワイルドバンチ』の記者会見で、「一体、どの様な理由であれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」と問われた、アーネストボーグナインはこう答えた「いいですか、レディー。人は撃たれたら血がでるものです。」血が出ないようにするには撃たれない話でなければなりませんよね。