なんだこれは

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それでも物語は廻っている

屠殺ごっこの話は、表現・芸術のはなし

屠殺ごっこをした話って?

特徴

  • グリム童話にのった童話
  • あまりに残酷とのことで、第二版以降では削除された。
  • 冒頭に地名等がでて、現実感が高い

あらすじ

こどもだけを置いておくと「屠殺ごっこ」をはじめた。『おまえ豚になれ』と指名されたこどもが「ごっこ」に則って屠られる。その後、親がそれを知り、あまりの事態に「自殺」する。その町の偉い人達は、ごっこをした子供達の処遇を相談しこどもたちに林檎とお金を『選ばせる』こどもたちは林檎を選び、穢の無いことを証明し無罪となる。

fu7mu4の解釈

ごっことは物語の原型であり、アーキタイプであり、あらゆる創作物を象徴し現している。まさにグリム童話自体ももちろん包括的に含んでいる。
これらの『ごっこ』には、もちろん上澄みのような教訓といった善が、魂の真や美しさが含まれることもあれば、愚かしさや悪や醜さが入る。こういったごっこあるいは芸術は原則的には通信の一種であって、送り出し側=作者に加えて、読み取り側=読者にも強く依存しますし、誤読がありえる。それ(=創作物)に入り込むこと、出られなくなることもあります。それにも素晴らしいこともあり唾棄するべきことも含まれる。
そういった事前に完全に評価し得ない、個々の体験が事実があります。
「ごっこ」の副作用によっては『自殺』を引き起こすこともあります。犯罪を引き起こす可能性は否定できません。読み取り側の判断があるからです。
そこで『ごっこ』のこどもたちの意図を確認し審判を受けさせたのです。