なんだこれは

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祈りの唄の調べと響き --まどか☆マギカ--

祈り、願い、望み、そうであればよいという願望は、だいたいにおいて、叶えるために対価が必要となるとされている。それは努力であったり、地位、才能、運、であったり、魔法のような奇跡がないと実現できないことであったりする。

しかし、それだけではなくて、実際には影響の大きいのは望んだことの残響、副作用ではないだろうか?副作用?と思われるかもしれない。それは、望みの叶った後におきる影響、歪み。もちろん良いものもあれば悪いものも。


例えば、あなた望みがピアノだったとしよう。黒く光沢があり、調律が行き届いており、鍵盤を叩くと心地よい音が返ってくる。ピアノが手に入れば、あなたは、ピアノに夢中になり、鍵盤を叩き続け、あなたはピアノを本当のお友達と呼ぶかもしれない。

しかし、それでは物語はおわれない。むしろここからが始まりなのだ。

ピアノに夢中になる、それはその他のことを低く見ることだし、その他のことに時間をかけられないことに他ならない。人生の方向は確実にピアノに向って進むだろうし、その他の可能性を削っていくことにほかならない。ピアノによって人との出会いが増えるかもしれない、しかし逆にピアノによって起きなくなった人との出会いもあるはずで。

これらを考えた上で、それでも祈り、願い、望むことが重要。祈り、願い、望みを詠い上げたものは、その調べの残響にも注意したほうがよい。望むべきじゃないのかもしれない。例えば、ピラミッドのようにおおきな神殿を建てて神のお告げを受けるように望み、実際に建ててその上で得たお告げが「この神殿は建てるべきじゃなかった」だったらどうしますか?こういったことは、よくおきています。

だとしても、そうであったとしても、私たちは様々なことを祈り、願い、望みます。どうか叶いますようにと。願わざるをえない、そこが本質的な弱さなのかもしれません。