普段からあまり真剣に考えないひとは、考える必要があるときに、本人は考えているつもりになって考えていないんだなと思っている。
考えるやり方をしらないので、考えてるよということ自体や、疲労感や、費やした時間に満足したり、問題を言い換えたりするだけで満足するひとが多いように思えます。
しかしうかつに、目的がはっきりしていないなどと指摘したり、問題を定義したり、条件を明確にしようとしてはいけない場合があります。なぜなら問題を明確にするとどう対処してよいかわからなくなる事態を怖れているからです。また新しい考え方や解決策を本当に望んでいない場合もあるのです。本当にややこしいですが、ポーズとして考えたフリだけがしたい場合というのもあるのです。
解決策をだしたところで鳩に豆鉄砲を食らわしたような顔をされても役に立たないのです。
こうしたやり方をつかって村の寄り合いのように話はエンドレスに進行し、皆が疲れきったときに終える、このやり方にももちろんいいことはあります。例えば誰でも参加できるし、トップの誰も知らないことを突きつけられたりしない安心感や一体感です。
このように新しい手法や革新的な解決策は葬り去られます。発言したところで取り合ってもらえないと、この手の会議に参加する度に腐っていくのかもしれません。