いじめに依存した社会・システムが存在する。
ストレスの多い環境で、定期的にガス抜きが必要なのに、ガス抜きの効果が低いか頻度が少ない場合、人は安易にいじめに走る。それは加害者=いじめっこのストレスを発散し、団結を強化する。うまくいかないのは被害者=いじめられっこの所為である、これも教育の一環である、うまくぬけだせないいじめられっこにも一端がある、このようにいじめを擁護する理屈も挙げられる。
しかし、それなりのガス抜きの効果があることは否定できないし、いじめの理不尽なことはその通りだと思う。
それではどのようにするといじめの被害が軽減され、効果があがるだろう?
それはいじめられっこを固定化しないことで達成できる。そのようなゲームのようなシステムを実施すれば良い。いじめられっこはそこでは全員に公平に回る。三日などの期間をきめ、担当日のみ担当者がいじめられっこになる。もちろん、担当者以外のものをいじめた場合は厳罰で対処することになる。三日、たった三日を耐えてしまえば、次に順番がまわってくるまでは理不尽な理由で担当の者をいじめてよい。おそらく、これを繰り返していくと、いじめの無意味さが身にしみるはずだ。
また、集団がうまくいかないのは多くの場合、分析してみると他の要因であることが多い。多くは思い込みで動いているのだ。